泡沫 幻想水滸伝

『ぼっちゃん! 朝ご飯ですよ、起きて下さい!』

 飛び起きて、それが夢の中で聞こえたものだと分かる。
 周りには誰もいない。
 声など聞こえてこようはずもない。
 窓から見える夜明け前の空は、まだ暗い色をしている。

「グレミオ……」

 久しぶりに口にした名前。
 自分にとって、とても優しい響きを持っているその音。

 意識して声に出さなくなってから、どれほど経っただろう。


 父がいて、グレミオがいて、クレオとパーンがいて。
 テッドと一緒に街を歩き、汗だくになって稽古をして。
 食堂に集まったみんなと話しながらグレミオのシチューに舌鼓を打って。

 そんな事が当たり前だったはずの日常。

 いつかは父のように。
 そう思って稽古に励んだ日々。

 僕が強くなろうと思ったのは、みんなを守りたかったから。
 みんなといる、その時間を守りたかったから。

 みんなを、失うためじゃなかった。


 僕のこの手で、守りたかったのに。


  + + +


「ぼっちゃん。外に行くなら行くと、声を掛けて下さらないと心配するじゃないですか!」
 過保護な青年のいつもの言葉に、軽く頷いて笑う。
「ごめんね、グレミオ。でも、街の外には行ってないし、大丈夫だよ」
 頬に傷のあるこの青年は、いくら大丈夫だと言っても聞かないから。小さな嘘をついた。
「ね、テッド」
 横に立っている少年に相槌を求めると、テッドは大きく頷いた。
「そうそう。大丈夫だって。いざとなったら俺だっているんだしさ!」
「テッド君……。そうは言っても、子供二人で外には出ちゃダメです。いいですね?」
「分かってるって。街の中で遊んでるから心配しないでよ」
「約束ですよ?」
「うん」
 念を押す青年の声にテッドと二人で頷きながら、グレミオには見えないように、こっそりと微笑みを交わす。

「楽しかったな」
「ああ。また行こうぜ!」
 夕飯が出来るまでの僅かな間、自室でテッドと話をする。

 今日は街の外、そう遠くはない山に行って来た。
 いつも街の中ばかりでは飽きてしまう。
 たまに見る外の世界は、刺激的で、楽しいことが沢山あった。
 グレミオが心配したとしても、ちょっと悪いな、と思うことがあっても、その魅力には勝てない。

「でもさ、まさかあんなところで、モンスターが出るなんて思わなかったな」
 テッドの声に頷く。
「うん、そうだね。でも、あれくらいのなら僕達で倒せるから」
「だからって、過信すんのもやばいんだけどさ。手負いのモンスターっていうのは、手が付けられなかったりするんだよな」
「ふーん……」
 大して年も変わらないと思うのに、テッドは時々、どこか大人びた瞳をする。
 いつもは僕より子供っぽかったりするんだけどな……。
 そんなことを考えてると、肩をポン、と叩かれた。
「んな心配しなくても大丈夫だよ。俺が守ってやるからさ」
「僕だって、テッドと同じくらいの力は出せる!」
 守ってもらわなくたって大丈夫だよ。
 そう言外に告げると、目の前の少年がふっと寂しげな目をした。何故か、心がざわつく。
「テッド……?」
「ああ、そうだよな。俺の―――使わなくたって、おまえは大丈夫だよな」
「え?」
 聞き取れないくらいの小さい声に、顔を見ると、いつもと変わらない表情で笑っているテッド。
「でも、そういう台詞は、もう少し腕を上げてから言えよ。今日だって、一度やばい時、あったろ?」
「あれは!……ちょっと、油断しただけだよ!」
 もさもさに飛びかかられた時に出来た、小さい傷の出来た手を背中の後ろに隠す。
「馬鹿。ちゃんと消毒しておけよな。ああいうのは下手すると病気とか持ってたりするから、大したことないと思っても放っておくと危険なんだぜ。後で俺がやってやるよ。グレミオさんにばれたらまずいもんな」
 その口調はとても真剣で。からかうのではなく、心から心配してくれてるのが分かったから。
「うん。ありがとう、テッド」
 素直に頷いておく。
 ……グレミオにばれたら、後が怖いし。
「何言ってんだよ、礼なんていいって。そうだなぁ、でもせっかくだから、今日の夕飯、おかずもらっといてやる」
「え!?駄目だよ、それはっ。だって今日は僕の好物で」

『ぼっちゃん、テッド君、夕飯が出来ましたよ』

「あ、はーいっ! 今行きまーす!」
 部屋の外から声を掛けるグレミオに返事をした後、テッドは悪戯っぽくニヤッと笑って言った。
「早く来ないとおまえの分も食っちゃうからな」
「行くってば!けど、僕のおかずはあげないからな、テッド!」
「はいはい、分かったよ」
 肩を震わせて笑いながら、ドアに手を掛ける。
「よし、食いに行こう!」
 テッドがドアを開けると、そこら中にいい匂いが漂っている。お腹の虫がなるのを宥めつつ、僕達は食堂に向かった。

「ぼっちゃん、席について下さい」
 食堂に入ると、いつの間にか帰って来ていたらしい父が先にテーブルについていた。
「父さん、お帰りなさい!」
「ただいま。今日もテッドと遊んできたのか?」
「はい!」
「そうか。だが、鍛錬だけは欠かさずしっかりやっておくんだぞ」

 誰よりも強く、優しくて、そして少しだけ厳しい父親は、僕の自慢だった。
 街の人も、みんなが父さんの事を素晴らしい人だと言う。
 僕は、父さんの息子であることがすごく誇らしかった。
 それと同時に、父の名に負けないくらい、父に恥をかかせることがない様に、強く、優しくありたいといつも思っている。……まだ、それには程遠いけど。
 でも、きっといつかは。

「さ、ぼっちゃん。冷めてしまいますからね」
 グレミオの声で我に返る。いけない、食事だったんだ。
 慌てて父親の隣になる自分の席に付き、みんなの顔を見渡す。
「遅くなってごめんなさい」
「じゃ、食事にしましょうか」
 クレオの声に父が頷いた。
「そうしよう。今日も一日、全員が無事に過ごせた事に感謝して」
「頂きます!」

「美味いなぁ、グレミオさんの料理」
 テッドの賞賛の声に、グレミオが嬉しそうに微笑む。
「まだまだありますからね。育ち盛りなんですから、沢山食べて下さい」
「――うん、そうするよ」
 僅かな間の後、テッドが頷いた。
 たまに見せるテッドのこんな表情に僕は少し疑問を持ったけど、それが何かなんて、聞いたことはなかった。いつか、話してくれるかな。そう思って。
「ぼっちゃん!」
「え?」
 いきなりグレミオに声を掛けられ、思わずスプーンを取りこぼしそうになる。
「行儀が悪いですよ!肘を付かないで下さい!」
 ……スプーンを持ったまま、考え事をするのはやめよう。
 いつの間にか片肘を付いて指に顎を乗せていたらしい。
「ははは、おまえはグレミオに叱られると目に見えて大人しくなるな」
 朗らかな笑い声。叱られても、父さんのこんな顔が見られるならそれでもいいか、なんて思ってしまう。
「ぼっちゃん、何かあったんですか?」
 クレオが僅かに心配そうな顔をして僕を見た。
 男所帯の中の紅一点だけど、グレミオやパーンよりも立場は強い、と思う。何をしたのか良く分からないけど、怒鳴られているパーンの姿を頻繁に目にしていたし。
 それでも僕にとっては、優しい姉同然だった。他の人が気付かない僕の表情の些細な変化にも、クレオは目敏く気付いて、いつも心配してくれる。
「ううん、なんでもないよ。ちょっと考えごとしてただけ」
「そうですか?なら、いいんですけど」
「ぼっちゃん、何かあったらすぐに俺に言って下さいね。ぼっちゃんを苛める奴は俺が叩きのめしますよ!」
 口に物を頬張りながらも、力強い声を発するパーン。
 その、ものすごく分かり易い言い方に、思わず顔が綻んでしまう。
「パーン。一般人にあんたの馬鹿力ふるったら大怪我させるのがオチだよ。そうなったら私達の上司であるテオ様に御迷惑が掛かるんだ。……全く、その場の勢いだけで物を言うんじゃないよ」
 呆れたようなクレオの声。
 それを楽しそうに眺める父とグレミオ。それにテッド。

 僕は、ここに、この家にいれて本当に幸せだ。
 大好きな家族。
 これからもずっと一緒にいたい。
 今はみんなに守られてばっかりだけど、いつかは僕がみんなを守れるように。

「ん? ぼっちゃんどうしたんです?」
 僕がみんなの顔を見回して笑うと、パーンが問いかけてきた。
「ううん。僕は、幸せだなって思ってたんだ」
 みんなが一様に微笑む。

 幸せな光景。幸せな時間。
 何よりも大事にしたい、僕の大切な家族。
 ずっと、このままでいたいと、強く願った。


  + + +


 そう、いつまでも続くと思っていた。


「ぼっちゃん……グレミオは…ぼっちゃんのお側にいることが出来て幸せでした……」

「ここは、俺に任せて下さい」

「強くなったな……頑張れよ……我が息子………」

「……元気でな……俺の分も生きろよ……」


 次々と息絶えていく珠玉。
 僕のてのひらから零れていく欠片達。

 右手に宿る紋章は、僕の何より大切だったものを喰らっていく。


 涙も出ない。
 ただ、乾いた感情だけが心をすり抜けていく。



『ぼっちゃん!』
 耳に残るグレミオの声。


 もう、二度と帰らない……優しい時間。




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