少年は、広い本拠地を走り回っていた。ある人物を捜して。 辺りはすっかり暗くなり、涼しい風が吹き抜けていく。 目的の人物がいるはずの部屋も、一度見かけた屋上も探してみたが、姿は見えない。 「酒場かな……?」 たまに昔の仲間と飲んでいる姿を見かけたのを思い出し、少年は急ぎ走り出した。 「あ…いないや……」 しかしそこにもいないのを確認して肩を落とした少年に声を掛けたのは、酒場の常連、フリックとビクトールの二人だった。 「おう、どうした?」 体の向きを変えて問いかけるビクトールに、少年が答える。 「あの、人を捜してて」 「人?」 「はい。ひょっとしてここで飲んでるかな、って思って……」 ああ、とフリックが合点がいったように頷いた。 「あいつか。今日は来てないぜ」 誰を探しているかも言ってないのに、どうして分かったんだろう? 少年が素朴な疑問を口にしようとした時、ビクトールが表を指差した。 「あいつなら、外にいると思うぜ」 「外?」 「ああ、こんな日はきっと、な」 小さく……そして苦く微笑んだように見えたビクトールの、その表情の意味を解さないまま、少年は外に駆けていった。 「ありがとう!」 そう大きな声で言い残して。 「……こんな日は、か」 少年の後ろ姿を見送り、フリックがグラスを空ける。 「……あいつなら、大丈夫だろ」 「ああ、そうだな……きっと」 自分達は、側にいる事が出来ないけれど。 男二人は苦笑しつつお互いのグラスを軽く掲げ、改めて飲み始めた。 ビクトールに言われたように外に出て探す事十数分。裏手にあたる木の下に目的の人影を見つけた。 「あ、こんな所にいたんですね」 が、少年が近寄って話しかけても、彼は言葉一つ発しなかった。 「何を、見てるんですか?」 「……」 「あの……?」 何も言わず、空だけを見上げるのは、トラン共和国建国の英雄。 少年が強く頼んで助けを乞うてから既に数ヶ月の月日が経った。シュウなどは、戦力として心強いのは確かだが今一信用ならない、と渋い顔を隠そうともしない。 彼はそれを気にする様子は全く見せないのだが、少年はハラハラしっぱなしだった。 (僕は、一緒に戦ってくれるだけで安心出来るのに……) 軍師の態度に、彼が気分を害して帰ってしまうのではないかと、それだけが心配で……いつも、側から離れないでいた。姉の、ナナミと一緒に。 トラン共和国の英雄。 それを聞いた時、凄いな、って思った。 僕と対して年も変わらないのに落ち着いた物腰、話し方。 大きい声で話すわけじゃないのに、言葉の一つ一つに力がある。彼が口にすると、どんな事でも説得力があって。素直に聞いてしまう。 やっぱり、こういう人だからそんな大きな事が出来たんだ。 そう思って、その通り口に出したら、周りのみんなに苦笑された。 『あなたも、同じ立場なんですよ』と。 そんな事があってから、シュウさんは余計に彼を煙たがるようになった気がする。あれから僕の顔を見る度に、「自覚を持って下さい」と、繰り返し口にするようになった。 ただ僕は、尊敬できる人の側にいたいだけなんだけど――。 (普段から無口だけど、今日は更にそうみたいだ) 少年が、何も話してくれない横顔をそっと盗み見ると、僅かに唇が動いた。 「月」 「え?」 「見てごらん。月が、綺麗だよ」 少年が、言われた通り上を見上げる。多くの星が瞬いている上空に、ぽかりと浮かんだ白い月は、青白い光を放っているようにも見えて。とても、美しかった。 「わぁ…本当だ……」 感心したようにそれを見ていた少年は暫くして、再び黙り込んでしまった彼に、小さい声で問いかけた。 「あの、ずっと月を見ていたんですか?」 「……うん、そう」 視線はずっと上を向いたまま。その視線の中に、僅か哀しそうな光を見つけ、少年が遠慮がちに問う。 「…どうか……したんですか?」 彼は、少年を見据えることなく、静かな声で返事を返した。 「……君は、人に聞いてばかりだね」 「迷惑……ですか?」 萎縮してしまったような物言いに、彼は微かな笑みを浮かべる。 「そんな事はないよ。でも……」 「でも?」 「僕には、あまり近寄らない方がいい」 そう言って、其処から離れていこうとする彼の腕を、少年は咄嗟に掴んだ。 「あの、なんで?どうしてですか?」 自らの腕を掴む少年の手をそっと外し、彼は小さく首を振った。 「……知ってるだろう? 僕の紋章の事は」 月をバックに背負った彼の表情は、少年には分からなかった。けれど、どこか寂しそうな響きだけが感じられて。 「はい、聞きました。でも、僕はそんな事……」 「そんな事、じゃないんだよ」 そう言った声が酷く辛そうで、少年は大きく頭を振る。 「でも!僕があなたに手を貸して貰いたいって思ったのは本当だし、そんな事で怖いなんて思いません!なのに、どうして僕達と距離を置こうとするんですか?」 こんな事を言っても困らせるだけかもしれない。 そう思ったけれど、少年は言葉を切れなかった。 少しでも伝えたいと、そう願ったから。 「だって、今日もこんな所に一人でいて。それだったら僕やナナミを誘ってくれてもいいのに。僕達じゃ嫌なら、ビクトールさんやフリックさんでもいい。一人でいるのは寂しくないんですか?」 一人は寂しい。 そう言いきれる少年の素直さと、それを相手にも当てはめて気遣う事が出来る心。 失って欲しくないな、そう思いながらも、彼の口からは苦笑が漏れた。 「……僕はね。これの所為で沢山の物をなくした」 真っ直ぐにぶつかってくる相手に、彼は滅多に口にしない自分の事を話し始めた。それが、純真な心で自分を心配してくれる相手への誠意だと思って。 「知ってるよね。僕が、三年前何をしたか」 「はい」 始めて、直接聞かされる彼の過去。 少年は、静かに耳を傾けた。 「今の君と同じ位の歳だった。……見た目は、今も変わらないけどね」 少年は此処に来て始めて気付いた。 『真の紋章を持つ人間は、歳を取らないんだ』 以前聞いた、その真の意味に。 三年前、自分と同い年だった彼は、今もその姿は全く変わらないまま。 そして、これからも。 それが自分にも当てはまるかもしれないことなのだと、何故か実感は湧かなかったけれど。 「僕の父はね、赤月帝国大将軍の一人だった。僕は、その一人息子として何不自由ない生活を送っていたと思うよ」 あのまま行けば、今でもそうだったんだろうね。 そう言って俯いたその顔が、何を映し出していたのかは分からない。 「でも、僕は、自分の運命と出逢ってしまった」 「運命……?」 「そう。運命。出逢うべくして出逢ったんだ。逃れようとも思わないし、逃れられるはずもない。だから、運命」 少年が僅かに首を傾げた。 「あの……」 「何?」 「運命って、定められたものなんですか?自分で切り開いていくものじゃないんですか?」 そんな少年を見て、彼は小さく微笑った。 「そう。確かにね。僕は自分で運命を切り開いたと…思っているよ。それでも……何かの所為にしなきゃ、立っていることすら出来ない僕がいたのも――確かなんだ」 「……」 少年は、何も言えずに僅か俯いた。 「こんな弱音を吐く僕は、もう必要ない?」 そう問いかけられ、慌てて少年がかぶりを振った。 「そんな事無いです!絶対にっ!」 「ははは……ありがとう」 力無く笑った彼が、続けて話し始める。 「最初はね、本当に成り行きだったんだ。これを……」 そう言って、手袋に隠された自らの右手を左手で覆った。 「これを僕に託した友人の意志を守る為だけに始まった僕の旅は――気が付いたら、僕だけのものじゃなくなっていた。一つ一つの選択は、全て僕自身で選び取ってきた事だ。誰に強制されたわけでもない。でもね。……ふと気が付いて、僕の大切な人が殆どいなくなってしまった事に改めて気付いた時、僕が本当に望んだ事は何だったんだろうって……そう、思ったよ」 少年に、掛ける言葉は無かった。 「全てが終わって、空を見上げた時――今日と同じ様な月が光ってた」 そう言って上を見上げる。 「僕は、あの場所に居たくなかった。おかしいだろう?自分で選び、望んだ道を歩んで、欲した国を手に入れたはずなのに、其処から旅立つ事を決めたなんて」 少年は、彼の寂しげな笑顔に首を振るだけ。 「あの夜は、本当に月が綺麗だったな」 彼は、少年の顔を見て微笑んだ。 「僕はね、逃げたんだよ。自分が踏み躙ったものから。真っ直ぐに見据える自信が無くて、逃げたんだ。これ以上、何かを失うのが怖くて、一人になる事を選んだんだ」 「そんな……」 「だけど、後悔はしていない。自分がした事にも、自分が選んだ道も。全てが、今の僕を作ってるものだから。後悔なんてしない」 自らに言い聞かせるように呟く彼に、少年が言葉を挟んだ。 「……あのっ」 「なんだい?」 「逃げることは、間違いじゃないと思います!」 少年の声に、彼は驚いたように目を見開いた。 「逃げてもいいんだと思います。それでも、誰もあなたを責めたりしません。そうだったでしょう?ここにいた仲間達は、誰も、あなたを責めなかったでしょう?」 「君は……」 「だって、あなたのおかげでみんなは平和な暮らしを手に入れたんでしょう?みんなの望みを叶えたんでしょう?だから、絶対に大丈夫です。だけど、だけど……それでも、一人になるのは寂しいと思うんです。僕は、やっぱり怖くないし、きっとみんなも同じ事を思ってるから、だから、その……」 必死になって自分は一人じゃない、と。そう訴える少年に、彼は顔を歪めた。 「ありがとう……。君の言葉は、忘れないよ」 「あの……」 「僕はもう、君ほど素直にはなれない。だけど、そう言ってくれる人がいるというだけで……少し、救われる気がする」 言いたい事が完全には伝わらなかったのかと、哀しそうな顔をする少年に、彼は苦笑した。 伝わってはいるのだ。確かに。けれど、それを全て受け入れられるほど、もう柔らかな心のままではなかったから。 「そんな顔をしないで」 「でも……」 「月に、祈ろうか」 「え?」 唐突な言葉に、少年が戸惑って顔を上げた。 「月に……。君の側から、大切な人が居なくなったりしないように。僕が、これ以上大切な人を失わずにすむように」 うっすらと微笑むその瞳には真摯な光が満ちていて。それを受けた少年は、嬉しそうに頬を綻ばせると、大きく頷いた。 「は、はい!」 「月にはね、魔力があるんだ。昔――誰かに聞いたよ。だから、祈ろう」 自分が彼の日失った光を背負った少年。 少年だけは失う事の無いように。 言い訳の様に切り出した事を、真剣に捉えて祈る姿。 彼は、少年を見つめ、その後上空を見上げた。 『この少年が、何も失わずにすむように――――』 「……巧く、話してるじゃねぇか。」 「ああ……」 月の綺麗な夜に姿を消した少年は、再会後も、こんな日は一人で過ごす事を望んだ。 野営の時も一人離れて月を見上げるその姿に、自分達の力の無さを思い知った。 あの時、どうして側にいてやれなかったのか、と。 後悔しても仕方がない。 もう、三年も前の出来事なのだ。 だから、今度こそ最後まで見届けよう。 少年がどんな道を選ぼうと、最後まで。 そして、三年前、最後まで側にいることが出来ず、一人で旅立たせてしまった彼が、もう、一人で月を見上げなくても良いように―――。 ビクトールとフリックも、祈るように月を見上げた。 【 月下 / 幻想水滸伝 】 |