Champagne 幻想水滸伝

 夜半、クルガンが自室にて読書に耽っていると、乱暴なノックが響く。
 大方の予想をしつつドアを開けると、予想に違わぬ人物が軽く手を挙げて立っていた。
「また、おまえか」
「へへっ、細かいことは気にすんなよ。邪魔するぜ」
 クルガンは無駄な事は嫌う主義だった。
 だから、この場合も何も言わない。『帰れ』と言ってその通りにするような相手だったらとうに言っている。けれど、溜息だけは止められなかった。
 勝手知ったるなんとやらで、シードは部屋の中をゴソゴソと漁りだした。その背中に向かって、クルガンは呆れたように声を掛ける。
「全く、毎日毎日……人の部屋に来るのがそんなに面白いか、おまえは?」
「おう、ここにくりゃ、美味い酒も飲み放題だしな。今日は……よし、これに決めた」
 ボードの中から年代物のワインを一本取り出し、持ち主の了解も得ずに早速コルクを抜く。傍目に見たら(見なくても)傍若無人以外の何者でも無い行為だが、クルガンは既に諦め顔だ。
 それよりも、大人しく酒を飲んで帰るだけならともかく、ああでもないこうでもないと煩く話しかけてくる所為で、読書がちっとも進まない事の方が問題だった。
(やれやれ……今日も読み終える事が出来ないか)
 手にした革表紙の書籍に目を落とし、再び溜息を付いたクルガンを、シードが不思議そうな顔をして見ていた。

 自室同然にくつろいで酒を煽るシードが、不意に声を掛ける。
「クルガン……」
「なんだ?」
「……おまえ、どう思う?」
 何の脈絡もない問いかけに、クルガンが顔を上げた。
「何をだ。おまえの言葉には一貫性も何もあったものじゃないな」
「……うるせえな。悪かったよ」
 ちょっとむくれてから、シードは、真剣な瞳でグラスを見つめた。
 以前、やはりクルガンの部屋で拝借した物と同じ、炭酸の入っているワイン。
 一度これを飲ませて貰ってから、シャンパンと言うらしいこの酒を、シードはいたく気に入っていた。小さい気泡が琥珀色の液体の中で泳ぎ、グラスの中を上がっていく様は美しいの一言だ。
 が、その泡の儚さは何かを彷彿とさせる。

「あの……ジョウイってガキだよ」

 先日、数々の失態を理由に、皇子の一存で首を刎ねられた自分達の上司。
 彼は武人として、屈辱にも似た形で処刑された。
 そして――。
 その後を引き継ぎ指揮官に就任したのは、まだたった十七の少年。

 本来、あるべき筈の感情を綺麗に押し隠した白皙の面。
 冷徹なほど冷静に、的確に。無駄な犠牲を出す事なく迅速に。
 ――まだ成人すらしていない少年の何処に、そのような策が眠っているのか。恐ろしくさえある。
 地方名家の長男であったとしても、中央の政治や軍事に関わってくるわけでも無し、そのような教育を受けてきたとも思えない。顔色一つ変えず指示を与えていく姿は、何か、薄寒い物を感じさせた。

「……彼の腕は、あのルカ様でさえ認める所だ。我々はそれに従うだけだろう」
 クルガンの感情の籠もらぬ声に、シードが苛立たしげな声を上げた。
「俺が聞いてんのはそういう事じゃねぇよ。分かってんだろうが」
 読書用の椅子に腰掛けたクルガンとソファーに深く体を沈めているシードの視線が暫し緊張感をもって交わされる。
「何が言いたい?」
「しらばっくれるつもりか?」
 沈黙の中、お互いの想いを探るように、ただ視線だけが交錯した。それを破ったのは、クルガンの、どこか押し殺したような声。
「……私に、先に言えと?」
「そうじゃねぇ。そう、じゃないが…。俺はただ、おまえが、俺と同じ気持ちなのか――確かめたかっただけだ」
 だが、僅かな迷いがあるからこそ。こうして自分の口から決定的な事を言わず、クルガンの言葉を待っているのだろう。
 シードは、クルガンの顔を見ながらそう自覚しつつ、内心で苦笑した。
「同じだ、と言ったら、おまえはどうする?」
 鋭い眼光。
 いつの間にか読んでいた本を傍らの机に伏せ、両手を膝の上で組んでいる。
 もはや、普段の気楽な会話ではあり得ない。
 クルガンが漸く本気で話を始める気になったのを悟ったシードが立ち上がり、もう一つのグラスに瓶の中身を注いで、伏せられた本の横に置いた。
「……これ、何かを思い出さないか?」
 クルガンがグラスを手にする。
「……この、泡か?」
「さすが、察しがいいな」
 座っていたソファーに戻り、自分のグラスを再度満たしながら呟いた。
「すぐ、消えちまうこの泡と同じように、あの人も今にも消えそうなくらいに見える。いや、きっとその通りになる気がするんだ」
 今のままじゃ。
 最後の言葉は飲み込まれ、音にはならない。
 いつの間にか、『ガキ』から『あの人』に変わっていた事を、シード自身は気付いていたのだろうか。
「今のまま、側に誰も置かずにいれば、か?」
 飲み込まれた言葉は、クルガンによって形になる。察しの良すぎる相棒に、思わず苦笑を漏らしつつシードが頷いた。
「ああ、だから――」


 少年が望む物が何なのか。
 その口から語られずとも解するに至ったのは、同じ思い故か。


  + + +


 人気のない城の裏手。
 たまたまそこを訪れたシードは、幼い面影を残した少年が夕陽の朱にその身を染めているのを見付け立ち止まった。
 無防備に立ちつくしている彼の目には、暮れていく空の色だけが映っているのだろうと思いながら、暫くの間様子を見て。そのまま立ち去る気にもなれず、何となく声を掛けた。
「こんな所で……何を?」
 人が近付く様子も気付かなかったらしい少年は、目に見えてその身を固くする。
「……シード」
 それに気付かぬ振りをし、少年の横に立った。
「もう、日が暮れますね」
「ええ……」
 再び上を見上げた少年を横目に見る。瞳に映るのは確かに薄暮の色。
 しかし。
 もっと遠くを、違う物を見ているような気がしてならなかった。

「付き合わせてしまって……すみません」
 夕暮れという時間を通り越し、夜の帳も完全に降りた頃、何も言わずに黙っていた少年が口を開いた。
 わざわざ軽く頭まで下げる少年にシードが首を振る。
「俺が勝手にここにいただけです。邪魔でしたか」
「そんな事はない。……嬉しかったです」
 哀しげな笑みを浮かべる少年に、シードは思わず聞き返していた。
「……嬉しかった?」
「こうして……誰かと一緒に夕焼けを眺めるなんて、もう無いと思っていたから…」
 ああ、と理解した。
 少年の見ていた物はおそらく、彼にとって遠い落日。彼の、大切な想い出なのだと。
「ジョウイ、殿」
「……感傷的になってしまいましたね。申し訳ありません」
 一つ頭を下げ、そのまま去って行こうとする少年に、シードは咄嗟に声を掛けた。その声に振り返った少年が、一言。
「あなたには、欲しい物がありますか?」
 辺りは暗く、城の明かりさえもここまでは届かず彼の表情までは分からない。が、その言葉には様々な想いが込められているようで、一瞬、言葉に詰まる。
 欲しい物。
 それは―――。
 口を開きかけ、返事を返そうとしたその前に、もう一度少年の口が開かれた。
「僕には……欲しい物があるんです」
 何故かその時だけは、はっきりと表情が見えた。
 今にも消えそうな程に、儚く哀しげに微笑んだ少年。
 思わずそれに見入ったシードが、その意味を深く問いかける前に。
 少年は踵を返して姿を消した。


  + + +


「俺は、あの人を信じてみようと思う」
 シードの手の中にはすっかり泡の消えたグラス。
「……後戻りは出来ないぞ」
「ああ…分かってる。だが、このままで良いわけがないんだ」
 この、泡のように。
 何もしなければ消えて無くなる。
 あの少年も。そして―――この国も。
「出来る事を……か」
 クルガンが小さく呟く。
「クルガン……?」

 今まで生死を共にしてきた同僚。
 何よりも信用できる相棒。
 クルガンと道を違える事は、シードにとって苦痛以上の物を伴う。
 だが、強制は出来ない。
 命と剣と、信念。
 それらは人に強制されて行使するものではない事を、誰よりも良く知っていた。

 だから。
 シードは、クルガンの次の言葉を断罪を待つ罪人のような気持ちで待った。

「――賭けてみるか。私達の全てを」
 クルガンの声に、シードが弾かれたように立ち上がる。
「いい、のかよ」
「……冗談で言える事ではないこと位、おまえが一番理解っているんじゃないのか?」
 クルガンの台詞は苦笑混じりだった。
「私とて、考えていなかったわけではない。ただ時期やその他の事を考慮していただけだ。……が、おまえの方からこう切り出してくるとは、丁度今が時期だったということなのかもしれんな」
 シードは、クルガンの唇の動き、その言葉の一つ一つを追っていった。
「クルガン……俺」
 立ったまま何かを言いかけるシードに、クルガンが座るよう促した。素直にソファーに沈み込み、暫く黙っていたシードが、手にしたグラスの中身を一気に開け。新たに中を満たして、目の高さに掲げた。
「泡が消えちまう前に、全てに決着を付けようぜ」
 再びグラスを空にし、グラス越しにニッと笑ってみせる。
「ああ、そうしよう」
 頷いたクルガンが、小さく微笑んだ。
「……珍しいじゃねぇか。そんな機嫌の良さそうな顔すんのはさ」
 滅多に見られない表情を、シードが茶化す。
「……失礼な。まるでいつも機嫌が悪いような言い方をするな」
 憮然としたいつもの表情に戻ったクルガンにシードが近寄り、既に空になっていたグラスに、瓶の底に残った液体を全て注いだ。
「次、これを飲む時は全部終わった後の祝い酒といきたいもんだな」
「……それは、私に用意をしておけという事か?」
「さすがクルガン。察しがいいな。頼むぜ?」
「……仕方がない。手配しておこう」
 そうして二人は、顔を見合わせて笑った。
 しかし、その顔と裏腹に、瞳だけは真剣な光を宿していた。これから先の道筋を思って。

「明日はグリンヒルだ」
「そうか」
「……何事もなく済めばいいがな」
「……そうだな」
 空になったグラス。次に、この中が満たされるのは……いつになるだろうか。


  + + +


「あなた達は……何故……」

「ハイランド王国、第四軍団長ジョウイ・アトレイド様。我ら、あなたに忠誠を誓いましょう」
「あなたの望みは知っています。その為に、働かせて下さい」


『僕には……欲しい物があるんです』

 彼らの歩む道の先は、未だ濃い霧に閉ざされていて見えない。
 霧が晴れるのは―――。




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